いわゆる「駅」論争。

竹内まりやのアルバム「Impresssons」の「駅」のライナーノートにプロデューサーである山下達郎が書いた「あるアイドルシンガーの解釈のひどさ云々」の件。この「あるアイドルシンガー」とは中森明菜のことです。

ポイントは「私だけ 愛してたことも」をどう解釈するか。そこかしこで論争が発生しています。

竹内まりや山下達郎の解釈では「私だけ(を彼が)愛していたことも」。

中森明菜の解釈は「私だけ(が彼を)愛していたことも」。

本作品の歌詞を読んで分かることは

・この2人は2年前に何らかの理由で別れた。

・この2人は不倫若しくはそれに類する恋をしていた。

・男性の方に恋人か奥さんがいる(2年ぶりに彼の姿を見たのに「それぞれに待つ人のもとへ戻っていくのね」と女性が言っているということは、以前から彼に待ち人がいることを知っている)。

歌詞を書いた人(竹内まりや)の解釈が正解なのは当然ですが、

「こみあげる 苦い思い出に 言葉がとても見つからないわ」

「あなたがいなくても こうして元気で暮らしていることを さり気なく 告げたかったのに」

という歌詞が非常に引っかかります。

さりげなく告げられなかったのは「私だけ(が彼を)愛していた」独りよがりの気持ちに気付いてしまって悲しいからじゃないでしょうか。

「私だけ(を彼が)愛していた」と分ったら「こみあげる苦い思い出」を乗り越えて声をかけられたんじゃないでしょうか。

そもそも2人の女性と同時に交際していて「私だけ(を彼が)愛していた」と相手に思わせる男って相当のゲス野郎若しくは女性がおめでたい解釈しているとしか思えません。

歌詞だけ読む限りは中森明菜の解釈も決して間違っていないと思います。